厚かましい事を書きます。
千の御手(みて)と千の眼(まなこ)の一端を
授かってまいりました。
そして、
千の御手と千の眼を多くの方に
丁寧にお渡ししたいと思ったのです。
人の世は、人でしか救えません。
菩薩、如来の御チカラを授かっても
授かると言う言葉があらわすように、
やはり人なのです。
千手観音が1000の手を伸ばしてくださることに気づき
一人が一つの手を取らせていただき
1000人が受け取って、
その1000人が、一人に一つ
また1000人にお渡しできたなら
多くの人々が観世音の慈悲に救われる。
ワタシは、その一人になりたいと
厚かましくも思ったのです。
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本当に1000本以上の御手をもたれる
葛井寺の千手観音像が
東京国立博物館におでましになられると。
少し前から聞いてはいたのです。
ですがなかなかタイミングが合わず
ぐずぐずしているうちに、3/11が最終日。
今日(3/7)を逃すと
きっと二度と直接の対面は難しい。
ものすごくザワザワする気持ちを抱えて
新幹線に乗りました。
空海の御直筆や仁和寺に由来のある
重要指定文化財や国宝たち。
見所、感じところはたくさん。
でも、今日の一番大事は千手観音像。
奥の奥に鎮座されていらっしゃいました。
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博物館内であって寺院の中ではなくても
仏像がある、しらずしらずに手をあわせる方が多くいらっしゃる。
手をあわせるという姿勢をみて
「はっ」としたのです。
菩薩様、
開眼してからずっと、
いや、施主の勧進があったり、願いがあったり
彫られる前から、願われ続けているのだ。
いったいどれほどの人の願いや想いを
受け取られたのだろう。
その菩薩の強さに圧倒されました。
審神者として様々なご神仏に関わってきましたが
こんな感覚が響いてくることは初めてで
やはり神仏ってすごい。
畏敬崇拝の念を改めたのです。
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浜松を出る前に、なんであんなにザワついたのか。
今ならなんとなくわかる。
厚かましくも受け取った
千の御手と千の眼の偉大さを
察知していたのだろうな、と。
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セラピストだからとか
審神者だからとか、
関係なくて、
人として何かできることが
あると思うのよ。
と、世界感が書き換わったのでした。
浜松に戻ってからわかってくださる方と
こんなやりとりをさせていただきました。
やはりワタシの視点はユニークらしい(笑)